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移民の体験談

 実際に移住をしてこられた人に移住にまつわる話をして頂きました。
 日本語学校校長の豊田一夫さん
 皆が信じられないような数多くの経験をされ、とても面白く、とても印象的なお話でした。
 予定の時間をオーバーし1時間半のお話でしたが、日本語がよくわかる子も、そうでない子も皆興味を持って聞き、話が終わった後も写真を見たり豊田さんへの質問が次々に出て、あっという間の2時間でした。
 みんな、昔の生活・移住の大変さを知り、とても勉強になったようです。


6年生・上級生が聞きながらメモをとり、豊田さんの体験談をまとめました。

豊田家のブラジルに来る前の様子/
ブラジルに来る理由

 
 何よりも気候のいい国だと思った。


 日本にいるよりもブラジルに移住する方がいいと思った。

 友達がブラジルに来れば「可能性」があると手紙で豊田さんを励ましてくれた。
 
 満州国に移住した。(ブラジルに来る前)−30度だった。その後、また日本に帰国した。
 
 船の中:赤道を通り過ぎるときに祭りがあった。 豊田さんのお父さんは二回戦争に行き、四ヵ所打たれたから三回目の戦争には行かなくてもすんだ。だからブラジルに来ることができた。


 1954年。

 アフリカ丸。

 べレンのトメアスに入植した。 

 家族五人:お父さん、お母さん、弟二人と豊田一夫さん。
 
 トメアスには大きい船は入れないので、遠い所で別の小船に乗り変えてきた。

 日本からの荷物:お皿やはしなどは一人一つしかなかった

豊田家がブラジルに来る状況
豊田家が入植した町の様子

入植した町はトメアスでした。こしょう作りの農場に入植しました。そして何もない山の中に入り込んで木を切って家を建ててこしょうを作り始めました。そこはとても暑くて雨になった時走って逃げていました。なぜならマラリアになるのが怖かったからです。


 1954年にブラジルのべレンの港に到着しました。そこから豊田さんはトメアスという町に行って自分の土地の山に入って、草を切って、畑を作った。そこでは、こしょうの栽培をしていたそうです。
 
 毎年、もの凄い数のこしょうを収穫して外国に輸出し
ていました。しょっちゅうこしょうの粉が入った辛い風が吹いたりしてくしゃみをしながら働いていたそうです。
 
 トメアスでは天気がとても蒸し暑いので一日にシャツ
を三回も交換していたそうです。 トメアスで嫁ができました。
 
 川がお風呂でした。一日に三回川にはいっていた。

 
 汗で手が滑らないように手首にしていた手ぬぐいを絞らなければならなかった。

豊田家が入植した
当初の生活の様子

豊田一夫さんが遭遇した(動物の)エピソード

 
 豊田さんはトメアスで働いた。ある日仕事で森
に入りました。そこで歩いていたらヒョウに会いました。ヒョウはもの凄くでかかった。だいたいニメートルぐらいの長さで、高さは腹ぐらいのたかさでした。もの凄く怖かったので頭の毛が立った。その時もし逃げていたら、殺されていたので、ヒョウとにらめっこをした。ヒョウは豊田さんのことを怖がって逃げた。
 
 森でしかがをよわよわしくやって来て、そこで
柔道のわざで鹿を倒しました。

 アルマジロとか陸がめを殺して食べていました。

 豊田さんの父は足の小指をかまれた、そして豊田さんは小指をチョビット切って血をすって外に出した。そのあと近くのブラジル人にお願いしてトラックで病院に運んでもらい、注射を背中にうったら良くなった。一ヶ月足がもの凄くはれて、寝ていなければならなかった。

ピラール以降

 
 何でピラールにきたかというと、気候がいいし、人が多いし、商売もいいし、いろいろとあ
ったからです。また、ブラジルにくるまえから、サンパウロの辺りがいいとおもっていました。

 豊田さんは1964年にピラール・ド・スールへきました。飛行機で家族五人できました。

 最初はトマトをさいばいしていました。養鶏もしていました。

 ピラールではまえからトマトをつくっていた人もいて、その人たちにいろいろなことを教わっていました。トマトをセアザにおくっていたが、値段がよくなかったから果物を作り始めました。それからブドウをつくりはじめました。

 その後、日本語学校の校舎を建てるのに手を貸しました。その設計図をつくったのは、ゆりさんでした。そして豊田さんのお父さんが日本語学校をたてました。

 トメアスからオートバイをもってきました。そのオートバイで、買い物とかしていました。

 また、トラクターを買ったが、ピラールへついてからとりにいきました。それを農業につかっていました。そのトラクターはイギリス製のMASEY FERGSON CINQUENTINHA でした。


“自分の信念に勇気をもって可能性へ堂々と挑戦しよう”

“けんかをしたらだめなんだよ”

“自分の身は自分で守る”

“うそをつくな。一回うそをついたら、何回もつかなきゃなら
 
ないので、 恥ずかしがらないで本当を言う”

“皆が今こんないい生活をしているのは先祖のおかげなんだ”

“温故知新” 昔の事から学び新しい考えをだす

“ラブレターでもなんでも、手紙という物は大切にとっておき
 宝物のように持つ”

豊田一夫さんからのメッセージ



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