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ピラール日系移住歴史地図

ピラール日系歴史地図(保存版)。どこに日系人がすんでおり、またどこに日系人の店があるのか一目りょう然です。
この地図を見れば、このピラール市における日系人の動き、存在がよりはっきりわかるのではないでしょうか。

作っている最中は、「あっ、この辺に○○さんがいるよ。」「えっ、その店も日系人がやってるの」など子供達が教え合い、また子供達も知らない家族の名前が出てきたり、場所がわからなかったりと、新しい発見・驚きの連続でした。


これが10年後、30年後にはどう変わっているのでしょう。その時に、この地図を使って違いを調べ、この地図が町の日系人の歴史を理解する手助けになることを願います。




CENTRO (中心街)

サンパウロ市より南西約150kmに位置するピラール・ド・スール市。
人口2万7千人の小さな田舎町です。
その中に日系人約200家族1000人ぐらい(推定)が住んでいます。


中央の黄色いところが中心街で、多くの人はそこに集まり生活しています。
他の所は農地や牧草地です。他の町から中心街へと続く道は、ごらんのように4,5本です。もしここを封鎖すれば、他の町からは隔離された状態になります。
  CENTRO (中心街)  

 中心街です。入植当時は、セントロ(中心街)はそれほど発展しておらず、かなり小さかったようです。
 青色が日系人の家、黄色が日系人のお店、ピンク色は学校などそれ以外の建物です。ご覧のようにたくさんあります。普段は利用しないお店もあるのですが、こうやって全部出してみると、その多さにびっくりです。
 町で一番いい服屋や雑貨店、一番大きいスーパーも日系人の経営です。他にも農業器具店や薬局、時計屋、歯医者、ネットカフェなど様々なお店をやっています。


CENTRO (中心街) CENTRO (中心街) CENTRO (中心街)
 

 東山・ピニャールと市街地の間。ここにも、たくさんの日系人が住んでいます。
 主な農作物は、50年代はトマト、それからじゃがいもなり、現在はぶどうかきを生産している農家が多いです。最近では全国に先駆けデコポン(商標上ここでは金星)の生産が盛んになり、ブラジル国内のみならず、輸出もしています。
 気候が温暖なので、他にもすももやポンカンやアボガドやびわなど色々な果樹が生産されています。
 
 他の多くの日系社会がある町のように、この町の経済活動、特に農業の分野では日系人が中心であり、圧倒的に貢献しています。

 隣のサンミゲル・アルカンジョ市との境。入植当初、多くの人がこのピニャール区や東山区に入りました。その地を離れた他の町に移った人もいますが、現在も同じところで農業をして頑張っている日系人もまだまだたくさんいます。
 中心街から車で15〜30分ぐらいの距離です。ここから毎日、中心街の学校に通っている生徒もいれば、中心街に家を借りて子供が学生の間だけ住んだり、学校のある平日は町に住み、週末はこの『田舎』に帰ってくる人もいます。