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 2月から6月まで『移民の体験談』を聞いたり、『ハルとナツ』を見たり、
様々な
<移住学習>を行ってきました。
 そして、ここまでの学習したことまとめる意味で、今年の記念すべき
『移民百周年』をテーマに作文を行いました。
 移住学習を通じ学んだことに対して、どのように感じているのか、
今後どのような気持ちで生活していくのか、その思いを書いてもらいました。


   百周年の想い
          鐙野 しずお 13才
「今年はブラジル日本移民百周年です。あなたは移民についてどう思いますか。」
という質問に対してどう答えるか。
 日本人達が初めてブラジルに移住した時には2・3年働いて日本へ帰るつもりでした。ところが、ブラジルへきて、どう思ったのだろう。日本人が何を考えたのか、どんな苦労をしたのか、僕はそれを絶対に忘れません。その時、日本人たちはすごく辛かったと思います。その時の気持と辛さを今の若者たちが分かっていればいいと思います。
「移民百周年についてどうおもいますか。」
 ブラジルは百周年に対して、色んな展覧会や祭りをしています。自分がそれを見ているとなんか嬉しい気持ちになります。自分が日系人だから「いいなあ」と思う。
 僕は個人的に、日本人たちがブラジルに移住したことを日本人たちの為だけでなく、そこから来る世代にもいいとおもいます。ブラジルの文化、日常生活や生き方を学ぶことで、日本文化が増えるし、すごく勉強にもなります。
 日本人がブラジル人と結婚することを反対する家族もいるけど、見方次第ではいいことです。日本人とブラジル人が結婚することで、お互いにわかりあえるいきかたや色んなことをみにつけます。それはいいことだとおもいます。
 日本人達が初めてブラジルに移住したとき、まさか永遠に住むことになろうとは思いもよらなかったはずです。でも、そのおかげで、皆もこうして別の人種の友達ができて、共に暮らせるのです。
 だから、自分は日系人としての誇りを持ち、百周年を機に、移住したときの皆の気持ちを忘れずに、いつまでも心の奥にしまっておくつもりです。ブラジル日本移民百周年の為に、頑張ります。

   移民百周年の事
          河津 はつみ 14才
 今年は移民百周年です。三月にテレビでハルとナツと言うドラマがやっていました。そのドラマは移民の時の事よく教えてくれます。たとえばかさと丸と言う船が始めて日本からブラジルにきてその日本人達はコーヒーのうえんに働きにいきました。このドラマは日本人にとってとてもいいものです。
このごろ、ニュースで毎日移民百周年のことを言っています。ニュースで他の町の展示会などを紹介しています。私がそれらの展示会を見ると「すばらしい。」と思います。飾りとかゲームとか食べ物とかちょっと移民の歴史を見た時におじいちゃんとおばあちゃんが
「かさと丸できた日系人達にかんしゃしてあげなきゃ。将来どういうふうにだるだろう。」
といつも言っていたことを忘れません。
私は「もしブラジルに日本人がいなかったどうなっていただろう。ひょっとしたら日本はブラジルと戦争しているのかな。」と思ったりします。
だからいつも先生が移民の事どう思うかときいたら私は
「昔から移民たちが一生懸命頑張っていたけど今からは私達の責任です。昔の事で終わったこととしないでまだぶんかを守りつづけたいひとは今から頑張りましょう。」

   文化の混合
          岡村 ちえみ 14才
 やっと、今年はブラジル日本移民百周年になります。おばあちゃん、おじいちゃん、と話し合った事によって昔は日本人がブラジルでくろうした事がよく分かります。その人達が最後まで頑張って来たからこそ、今回、百年もたってお祝いする事になりました。
 すごくいい事だと思います。祖父、祖母、父、母のおかげで私はここにいます。前からずっと日本人がブラジル人にも文化を教えたり、けっこんもしたり、そのような事は現在にふつうになっているそうです。
 この二つの文化をすこしずつ合わせていくと、両方の人種にとってやくに立つと思います。それにだんだん日本の文化が広がっていって良いになると思います。例えば日本の料理と言えば、やきそば。「やきそばお願いします。」とよく店とか祭りが行われる時に聞きます。さしみ、てんぷら、まんじゅう、もち、すきやき、色々な種類の日本の料理がブラジルの食べ物の中に入っています。
 作文、結婚式によばれました。お食事は全部日本の料理でした。さしみの近くにわさびがおいてありました。その周りにたくさんの人がいました。その中に入った男の人がわさびをコップいっぱいとっているのをみて、「んーあの人わさびってどういう味か知っているのかな。」とおもっていました。おじいちゃんは「そんなにいっぱい食べる物ではないですよ。」とかれにちゅうこくした。でもいい事です。だれでもこの料理が好きだから。
 ブラジル、日本へようこそー。昔の日本みたいに、今日はブラジルからよくでかせぎの人が他の国へ行っています。とくに日本。人達は自分の文化を他の人へ伝えていると言う事で世界中で有名になっています。
 例えばテレビのある番組によると、日本のおきなわ県ではブラジルのえいきょうが多いそうです。フェイジョアーダ、コーヒーなど色々あります。とてもべんりだと思う。おきなわ県は日本にあるブラジルと言われています。
 料理だけではなく、スポーツでも同じです。例えばサッカーは日本で人気があり、反対にこちらでもやきゅうとかじゅうどうなどもよくしられています。
 アニメ、祭り、ドラマ、えいが、テクノロジーなども大えいきょうがしています。
 今年しかではない、文化が合わせて、日本移民のおかげだった、それをわすれずにずっとお祝いし続けよう。

   百周年で動く国
          角田 あきお 15才
 七十年前、ひいおじいさんとおじいさん、そして家族でブラジルに、もっといきやすいゆたかな生活を目指してここへ来て、くろうしてここへきたと思うけど、今はそれとちがって僕が思っている事を書きます。
 もうブラジルはすでに移民百周年にはいっています。テレビ、学校、そして他に色んな所でそんな話が流れて、今はすごいこ事なっています。
 太鼓や日本語学校もそれにいっちょくせん。ピラールの町までやりはじめています。
「こんだけ一つの国を動かせるというのは、移民、そんなにすごかったの。」
って時々考えてしまう。ちょっと考えれば確かにそうだと思います。日本移民のおかげでブラジルは大きく変わり、日本の影響がどんどんひろがって今は町を歩くだけで色々発見できます。
 そんだけ国を動かしている存在がさべつされたりもします。だがほとんどはあこがれてすごいことだと思うもいます。
そして今月、すごいイベントがおこなわれます。百周年に、このつらいたのしいすごい百年におきた全てにおいわいの気持ちをささげようと、僕も、国全体の日本人やブラジル人は心がけています。
 言葉では伝えられないけど、百周年はやっぱりすごいです。

   ブラジル日本のどうめい
          武安 ひかり 15才
百周年になるのはめでたい出来事だと思います。どうしてかというと、特に日本はこの百年間、ブラジルにすごいえいきょうを及ぼしたからです。それを証明するように、銀行にでも駅にでも色々な所にでもカサとまるとか日系人の歴史とか展示しています。そんなことは初めてです。ドイツやフランスやアメリカの移民の時にはそんなことはしていません。
 けれど何で日本は他の国より大事なのでしょうか。よく考えるとテクノロジーのおかげではありません。だってアメリカとかヨーロッパとかカナダとかのテクノロジーもよく見られます。では、どうしてでしょうか。
 私が考えている理由はブラジル人皆、百年前からの日本移民の努力やどのぐらい苦労したか、どのぐらい頑張って来たのかをよく知っているからだと思います。
例えば、三月にはバンジと言うテレビ局で『ハルとナツ』と言うドラマがありました。それを見てすごく感動した人は多いでしょう。私もドラマを見て祖父と祖母の苦労が想像できました。全然知らない国へいって、全く違う言語を覚えて、新しい仕事をしないといけません。一年間いた人にも、来たばかりの人にもすごく難しかったと思います。頑張らなければ生きていくのは大変だったと思います。
そんなことを誰でも知っているからどこでもよく展示会をしているのだと思います。どうしてかわからないけどブラジル人は日本のことにとても興味があります。マンガとか食べ物とか文化とかも良くたずねます。 もう普通にしょうゆを使ったり、焼きそばやすしを食べたりしています。私はそれはとてもいい事だと思っています。違う国の文化を取り入れるのは豊かな文化を作るのに必要です。そのおかげでブラジルの文化はすごく良くなりました。
百周年は大事でまだまだブラジルと日本を近づけることになると思いま。だから私達が自分の家族のことをよく調べて国だけでなくしんせきの事ももっと知るように調べなければいけません。だって二百周年になったら子供達どんな話をするでしょうか。それに私達もこうけんするのが大事です。
百年は今、でも二百年も三百年も豊かな祭りができるように一人一人がこうけんしましょう。            

    移民百周年の大事なこと
          木村 はじめ 15才
 今年は、移民百周年を迎えます。今まで、色んな事がありました。さらに色なところで展示会や、記念イベントをやっています。ニュースでも毎日、サンパウロ州の町などで日系人が百周年を迎えるためにやっていることなどをいつもやっています。それは 国にとっては、すごくいいと思います。僕はそいうニュースを見ると、日系人でよかったなと思う時があります。一九0八年に、初めて日本人がブラジルにきました。そこからは、働いて働いてさらに働きました。その時は日本人もよく我慢をしました。そんな難しい時代を辛抱強くがまんしました。そこで、ブラジルから逃げずに、ここに残って頑張って良い状況にかえました。そいうご先祖たちのがんばりがあるこそ、今ここで日本語学校にかよって、いい生活をして暮らして行けるんだとおもいます。だからこの移民百周年の機会に、ありがとうと感謝の気持ちを、つたえたいと思います。将来、僕たちがおじちゃんや、または、ひいおじいちゃんなった時とかは日系人は、どうなっているのだろうか。まだ疑問だけど、きっと二百周年を迎えたときは、もっとすごい祭りになるんじゃないかと思います。でも今、今年の百周年と同じ祭りは、二度とありません。だから、今年がもっとも僕の印象に残ると思います。僕たちのおじいちゃんやおばあちゃんはやくめははたしました。今度は、僕たちが孫やひい孫達に、 「ああ、移民百周年は、・・・」
と色んな事を伝えるのも大事だとおもいます。でもこれから、さきに、二百周や三百周や四百、五百、移民千周年迎えることになるかも知れません。必ず一九0八年の事を、おもいださなければなりません。日本移民の中で一番大事ののは、最初に、日本人がブラジルに、入った時だと思います。これが僕の、百周年のおもいです。

先祖達へサンキュウ
          鐙野 かおり 15才
 「行け、行け、同胞、河越えて・・・。」
と日本人達は希望を持ち、この広い海を渡ってブラジルへやって来た。でもここに着いてがっかりしたかもなあ。朝から晩までコーヒーの農場で必死に働いても、きゅうりょうは安いし、毎晩夕食で豆をたべるのは、どんな人でも耐えられないと思います。でもその流した汗、その手に出来た血まめこそがこの国を作ったのだ。
 だからこの百周年は若者達のためじゃなく、私達のおじいちゃん,おばあちゃん達が祝って,感動して,振り返って
「昔もいい事はあったんだあ。」
と言うのです。そして私達、若者は感謝すべきです。だって、祖父がブラジルに来なかったら、祖母と知り合って、けっこんをしなかったら、私は生まれてもいなかったかもしれません。そしてこのすてきな国も、すてきな文化や料理も一生知る事が出来なかったかもしれません。だから今は,日本がブラジルよりもお金持ちでも、いくら日本がブラジルよりもっと発達してても、私はブラジル生まれてきた事を嬉しく思うし誇りに思っています.
 そして日本とブラジルは一生結ばれています。その縁が日系人達です。でももちろん日本人は日本人,ブラジル人はブラジル人で、日系人は日系人で別々です。でも別々だからこそ、文化を学びあって仲良く暮らしていくべきだと思います。
 でも思えば私達は過去の事ばっかりを思い返しています。でも歴史は過去だけは出来ていないと思います。だから昔の嬉しかった事、辛かった思いは忘れずに、そして未来の事も忘れてはいけないです。百周年だからと言って来年になったらもう全部忘れるのはもったいないです。
 「百周年はもう過ぎた。よし、じゃあこれからは二百周年まで日系人が滅びて行かないよう、そして私達の子供や孫達が二百周年を祝えるように今からも努力していかなきゃならない。」
と言う気持ちを持つべきなのです。
 私達は過去,現在と未来、そして希望と努力で出来ている民族です。そして忘れてはいけないのは先祖達への『ありがとう』。

   ブラジル日本移民百周年
          中村 せいし 16才
ことしブラジル日本移民百周年なのでとてもうれしいです。なせならブラジルじゅうことしの日本移民のため強力してくれているからです。あっちこっちでイベントやまつりやてんじかいなどがありブラジルじゅうで行っています。
けれどブラジルにはじめてきた人たちはくろうしました。なせならポルトガル語がはなせなかったりばかにされたりいろんなくろうをしたとおもっています。ハルとナツのドラマでみたように日本人たちわばかにされたり、はたらいてもしゃっきんをしたりしていろんなくろうをしました。けれどもしにほんじんがそんなにくろうをしなかったら、いまブラジルで日本移民百周年お祝いなかったとおもっています。だからそのくろうわぼくにとってひつようだったのだとおもっています。
先生がいったとおりに地下鉄でやっているてんじにとてもきょうみがあります。ぼくわまだいっていないけど、
「ああ、ぼくもみにいきたいなー」とおもっています。けどそのてんじはすぐにおわるのでみにいくじかんがないとおもっています。けどみにいけなくてもだいじょうぶです。なせならどこでも移民百周年のイベントにいったら、何か興味があるものがあるだろうとおもいます。

   移民
         溝渕 よしひこ 16才
ぼくは日本人がブラジルに移住してきて良かったと思います。むかし,ブラジルにはじめてきた日本人の生活はとてもたいへんでした。きたとき,はたらくばかりでおかねはすこししかもらえなかたです。それなのに,食べもののねだんかたかいので、もらうお金でかえなかったです。
そして何年もかかって、まいにち、いっしょうけんめいはたらいてすこしずつお金をためていました。夢をあきらめないでまいにちはたらきつつけていました。日本人はそれを何年もしていました。そしていくらかお金がたまりました。そのお金でたべものをかったり、ブラジル人のはたけをかうようになりました。
かったあたらしいはたけでじぶんでのうぎようをして、じぶんでのうさくぶつをうりました。そうするとお金がもっとかせげました。
日本人はブラジルにいろんなこうけんをしました。たとえば、のうぎょうでそれまでブラジルになかったやさいをつくりはじめました。あたらしい種類のやさいや果物の開発しました。ブラジルではそんな物はまだしらなかったです。
千九百八年からげんざいまでに日本人はブラジル人にへんけんをもたれてまいにちくるしんでいます。でも日本人はそんな事をきにしないでブラジルの生活つづけている。
みんながへんけんがあるでわなく、へんけんのない人もいます。
日本人はブラジルにろんなことをつたえてきました。たとえば、太鼓,料理,踊りなどを伝えてきました。ブラジル人はもうふつうに日本人の料理を食べたり、踊りをしたりしています。
日本人ははたらいてじぶんの夢を達成できて良かったと思います。
過去の日本人がどりょくしてやりとげたことをまもって受けついてもくひょうを全部達成したいとおもっています。

   これからの任務     
           鐙野 裕悟 16才
 一八八八年にはブラジルで奴隷制度が終わり色々な国からもの凄い数の移住者がやって来た。その中にイタリアやドイツやオランダや日本もあります。そして今年、ブラジル日本移民百周年を迎えます。ですが移住を始めてからもうすでに百年たった国もあります。それなのに、ブラジル全土を動かす移民百周年といいますと、今年が初めてです。ならそれはなぜか。同じ百年たったのになぜ日本の移民がこれほど国を動かすのだろうか。
 様々な理由のうち、よく日本の文化がブラジルに影響している事が最も大きな理由だと思います。例を上げると、じゃんけんぽんです。なんでもかんでも、二人以上の人が意見が違う時にじゃんけんぽんを使うと言う日本の習慣を取り入れました。
 その上、ブラジル人は日本料理を気に入りました。家庭で和食を作るブラジル人が増えると同時に和食を食べに行くブラジル人も段々増加しています。
 それに、日本のマンガやアニメも深く浸透した文化です。例を上げると、去年、世界コスプレ優勝者はブラジルからでした。その上、日本のマンガや」アニメはブラジルで大成功しています。
 さらに、ハイテクと言うと日本が思い浮かびます。最近ブラジルが取り入れたデジタルテレビは日本のシステムで日本からの技術もどんどん取り入れられています。
 あれほどに大変な時代では普通は生きる事しか考えられないのに、これほどに文化が今まで伝えられて来ていると言う事は、大変な時代でも文化を伝える大切さを教えてくれ、またそれは文化を伝えた人達のおかげだと思います。それを僕はとてもいい目で見て、感謝の気持ちを持って、凄いと思っています。
 だけど日本から移住が始まってから百年もたったと言う事は、これからの傾向としては段々文化がきえて行くということです。そうならない様に、これからも僕達が日本の文化を伝えて行く任務を持っていると思います。




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