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第一回  移民学習発表会

6年生・上級生はグループに分かれ、
『町の歴史』『文協の歴史」『日本語学校の歴史』を調べてまとめました。


1か月の間に本を見たり、親や祖父母に話を聞いたり、

文協の役員の家にまで話を聞きに行ったりして調べ、

それを日本語で画用紙にまとめました。

発表は日本語主体でポルトガルの通訳も入れました。


テーマを与えてからは、何をどのようにするかなど発表まで全部を子供達が
自分達で考えてやりました。



HISTORIA DA CIDADE

『文協の歴史』
溝渕よしひこ・鐙野かおり・木村はじめ・角田あきお

ピラールは1936年、ピエダーデから独立し、初めて日本人が入植したのは1945年で、長浜家、東郷家、山畑家の3家族でした。 1940,50,60年代は主にじゃがいもトマトを作っていましたが、ぶどうやかきなど果物に変わってきました。





 夜遅くににもかかわらず、発表する生徒の親だけでなく、おじいちゃんおばあちゃん、他のクラスの生徒の親、文協会長、学務理事など、たくさんの人が見に来てくれました。5年や4年生、3年生といった生徒も真剣に聞いていました。        




HISTORIA DO BUNKYO
(ASSOCIACAO CULTURAL E DESPORTIVA DE PILAR DO SUL)

『文協の歴史』
鐙野ゆうご・武安ひかり・河津はつみ・岡村ちえみ

勝ち組負け組の争いが収まってきていた1953年、文協(当時は日本人会)をつくるための集まりや会議が行われました。 1976年、盆踊り大会が初めて行われました。当時は外で行っていましたが、冬で寒くまた雨の日もあるので、会館で行うことになりました。しかし、たくさんの人が来るのでせまくなり、数年前から体育館で行っています。





HISTORIA DA ESCOLA DE LINGUA JAPONESA
『文協の歴史』
中村せいし・鐙野しずお・川畑よしこ

昔、日本語学校は別の所にありました。今の場所に日本語学校ができて先生は村中先生になりました。始め生徒の数は20人ぐらいでしたが、3年ぐらいたつと150人に増えました。 昔の生徒は日本語が話せて、読み書きを覚えるために親に言われてきていたが、今の生徒は日本語ができないので日本語を覚えるために来ていて、楽しいから自分から学校に行きたくて来ています



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