ピラール・ド・スール日本語学校 > 学校作品集 > ブラジル日本移民学習 > 第一回移民学習発表会
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ピラールは1936年、ピエダーデから独立し、初めて日本人が入植したのは1945年で、長浜家、東郷家、山畑家の3家族でした。 | ![]() |
1940,50,60年代は主にじゃがいもトマトを作っていましたが、ぶどうやかきなど果物に変わってきました。 |
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勝ち組負け組の争いが収まってきていた1953年、文協(当時は日本人会)をつくるための集まりや会議が行われました。、 | ![]() |
1976年、盆踊り大会が初めて行われました。当時は外で行っていましたが、冬で寒くまた雨の日もあるので、会館で行うことになりました。しかし、たくさんの人が来るのでせまくなり、数年前から体育館で行っています。 |
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昔、日本語学校は別の所にありました。今の場所に日本語学校ができて先生は村中先生になりました。始め生徒の数は20人ぐらいでしたが、3年ぐらいたつと150人に増えました。 | ![]() |
昔の生徒は日本語が話せて、読み書きを覚えるために親に言われてきていたが、今の生徒は日本語ができないので日本語を覚えるために来ていて、楽しいから自分から学校に行きたくて来ています。 |