ピラール・ド・スール日本語学校 > 学校作品集 > 2009年運動会作品コンク−ル > 作文

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  A組 「(絵を見て書く)」

金賞
  どうぶつえん 
          いい えいか
おとこのこのふうせんはきいろです。
うさぎはきれいです。
うしはしろとくろです。
さるはちゃいろです。
あひるはしろときいろです。
ちゅうりぷはぴんくです。
ぞうのおかあさんはおおきいです。
かめはみどりです。
うさぎはにんじんをたべています。
ぞうははいいろです。
りんごはあかいです。
みずはみずいろです。
らいおんはおねんねをしている。
 りすはどんぐりをたべている


銀賞
  どうぶつえん 
           なくい はると
 りすはどんぐりをたべています。りすのいろもちがうです。おとこのこがうさぎににんじんをあげています。おとこのこがすいかをたべています。みんながいるところはどうぶつえんです。
 はながならんでいます。はなのいろはみずいろときいろとぴんくとみずいろとむらさきおれんじとあかです。
 らいおんがねている。おとこのこがふうせんとあそんでいる。

銅賞
  どうぶつえん 
          そう ゆき
おとこのこはすいかをたべているよ。
ちゅりぷはきれいにさいたよ。
あひるはうたているよ。
うさぎはにんじんをたべているよ。
ちょうちょうはぴんくできれよ。
ふうせんはきいろですよ。
りんごはあかでおいしいです。
うしはしろとくろです。
はなはみずいろですよ。
ちゅりぷはなんでもいろですよ。
ぞうはおおきとちいさいですよだ。
りすはちいさいですよ。
ぶたはぴんくですよ。
くりはおとしてるよ。
かめはあるいてるよ。
くもはしろですよ。


佳作
  あおいそら 
           やすだ せいじ
らいおんがいます。らいおんがきいろです。
うさぎがいます。うさぎがしろです。
ぞうがいます。ぞうがはいろです。
せいじのぼしがあかとあおです。
うしがいます。うしがしろとくろです。
りすがいます。りすがちゃいろです。
ぶたがいます。ぶたがちゃいろです。
きよしのくちがおおきいです。
さるがいます。さるがちゃいろです。
ぞうのみみがおおきいです。
きよしのすいかがおいしです。

                              


B組 「わたし(ぼく)の休みの日」
                    
金賞
   休みのとき、何をするのかなぁ
           名久井 そらお
ぼくは休みの日いつもなにかをします。テレビみるか、本をよむか、ともだちと遊ぶとか、何かをすることがたくさんあります。
 ぼくはいつも大どろぼうホッツェンプロッツをよんで、はるととちょっと遊んで、テレビをみます。お父さんはいつも
「日本語の勉強をしたほうがいいと思うけど!」
それでぼくは本をよむようになりました。
 おとといぼくは学校のともだちとエスケンで遊そびました。そうべつ会でみずの先生が赤ちゃんみたいに泣いていました。かおの色がぜんぶまっかになっていまよりもっともっとへんになりました。
 ブラジルはたくさん休みの日があるからとてもいいと思います。
 日本ではたくさん休みの日はあるかな?
へんな休みがあります。なんでそれで休みがあるのかなぁと思います。
 ブラジルって何かへんだなぁ。


銀賞
   ぼくの休みの日
           岡村 ひでよし
ぼくは土曜日に水野先生のそうべつ会に行きました。水野先生はないた。先生はプレゼントをもらった時にちゃんとありがとうを話いました。日曜日にえみの家にあきらとけいじと松岡まこととひろしとまさみとあきおとなおみとお母さんとお父さんがいました。ぼくはこどもとサッカーであそびました、そしてピンポンであそびました。そしてひるごはんを食べました。ぼくはいっはいピンポンであそびました、サッカーもいっぱいあそびました、ぼくとひろしでじゃんけんをしてチームをきめました。ひろしはあきらとまことと岡村まさみとけいじをよんだ。ぼくのチームはかった。39たい17でした。松岡まことはボールをけってぼくのちんちんにあたった。日曜日と土曜日はおもしろかったです。


銅賞
   わたしの休みの日
              南 りか
わたしの休みの日は土曜日と日曜日です。
土曜日はみずの先生のそうべつかいの日でした。
 そうべつかいはいっぱい人がいました。
 そうべつかいの日はとてもたのしかったです。そうべつかいのあとエスケンのゲームであそびました。とてもおもしろかったです。
 そして家にかえりました。家についてシャワーをあびました。シャワーをあびてからテレブを見ました。
 テレブを見てからおばあちゃんとお母さんにおやすみなさいと言いました。
 そしてわたしはねました。ねるまえに本をよみました。本のなまえはシンデレラでした。
 ながいやすみのとき大きくたって日本に行っていとことあいたいです。いとこのなまえはひろきです。そしていっぱい日本のあめをかうとおもっています。そしてブラジルにもどってけっこんしてしにます。 

佳作
   わたしの休みの日
            小崎 さゆり
 おとといかいかんで水野先生のそうべつ会がありました。そうべつ会でみほとあそびました。
 そうべつ会がはじまってえみとしろうは水野先生のことをいいました。
 おわったあとみんなごはんをたべて、しゃしんをみせました。
 しゃしんをみせたあとわたしとみほはクルダンであるきました。
 そしてわたしとみほだけエスケンであそびました。
 そして水野先生はエスケンをしました。
 みんなであそんでつかれました。
 とてもたのしかった。わたしはいつもみほとひろきとあきらのところにいしをとりにいきました。
 みんなのお母さんとお父さんが車にのってまちました。
 れいか先生は「もういっかいだけします。」といいました。
 おわったあとみんないえにかえりました。


佳作
   なつ休みの日
           安藤 ひろき
なつ休みは、いろんなことをしました。どっちボールのゲームをしました。サッカーであそびました。とってもたのしかったです。じんとりはおにいさんとるみとまさsきとせいじとじんとりであそびました。とってもつかれました。プールはおにいさんとまさきととしおとプールにおよぎました。かくれんぼはせいじとまさきとおにいさんとかくれんぼをしました。とってもおもしろかったです。なわとびをしました。まさきとおにいさんと自てん車であそびました。トランポリンでまさきととびました。
いっぱい物を食べました。ハンバーガーを食べました。チョコレートも食べました。あめも食べました。アイスクリームも食べました。ガムをかみました。パイナップルも食べました。オレンジも食べました。デコポンも食べました。なしも食べました。りんごも食べました。いちごも食べました。メロンも食べました。すいかも食べました。れたすも食べました。たまごも食べました。パンも食べました。ちくわも食べました。びわも食べました。キウィーも食べました。きゅうりも食べました。バナナも食べました。にんじんも食べました。トマトも食べました。さかなも食べました。ビスケットも食べました。いっぱい物を飲みました。コーラを飲みました。ジュースも飲みました。ぜんぶがおいしかったです。
なつ休みは楽しい日です。


                             


C組 「お母さんとの思い出」  

金賞
   わたしのお母さん
           岩井 えみ
わたしのお母さんはとてもやさしい人です。とてもあたまがいい人で、とてもたのしい人で、きれいな人です。
わたしはお母さんだいすきです。お母さんとわたしはたくさんことをします。あそんだだり、はなしたり、いっしょにべんきょうをしたり、お母さんをてつだったりしあます。
お母さんはりょうりをしているとき、わたしはお母さんちてつだいます。にんじんをきったり、トマトをきったり、たまねぎをきったりします。
お母さんもわたしをてつだいます。ブラジル学校のしゅくだいか日本語学校のしゅくだい。
わたしのお母さんはわたしのたんじょう日はいつもしています。わたしもお母さんのたんじょう日はいつもしています。
わたしのお母さんはたくさんことをします。しごとをしたり、りょうりをしたり、サンパウロのかいものをしたりします。
わたしのお母さんはとてもいい人です
  

銀賞
   わたしのお母さん
           伊藤 さゆり
わたしのおかあさんはやさしくておもしろくてとってもかっこいいひとです。
わたしがお母さんだいすきです。
わたしのお母さんはおこるときにわたしがいいます。
「お母さんアイスクリームかってください。」
「だめ。」
とわたしのお母さんいいます。わたしもういっかいいいます。
「かってください。」
「だめ、だめ、だめ。」
わたしのお母さんはおこるときにライオンみたいです。
わたしがねつのときお母さんがいいます。
「テレビをみてもいいよ、チョコレートたべてもいいよ、ビスケットたべてもいいよ、ジュースのんでもいいよ。」
わたしがねつのときわたしのお母さんねこみたいです。 
 わたしのお母さんのりょうりはとってもおいしいです。
 わたしのお母さんだいすき


銅賞
   わたしのスパーママ
              井伊 るみ
 お母さんはまだしんでないけどたくさん思い出があります。
 お母さんはとてもやさしいです。
 わたしが病気になるとお母さんは心配になります。たくさんめんどうを見ていたから、夜はねむらないです。おきて、くすりをあげて、そのあとねることができません。
 わたしのお母さんはスパーママです。
 わたしがなにかあったら、たとえばコンクールかたい会があったらお母さんはいつもおかしかべんとうをつくってくれます。
 お母さんはいつもはたらいています。あって、こっちいたり、します。とてもたいへんです。
 お母さんがかなしくなるとわたしもかなしくなります。わたしがうれしくなるとお母さんもうれしくなります。わたしとお母さんはなにかおかしいことがあります。
 いつまでもお母さんのいい思い出をわすれないで、されをまもります。
 わたしのお母さんはスパーママです。
 お母さんが大好きね!


  

D組 「お世話になった(なっている)人」

金賞
   そして、感謝の気持ちを 
                鐙野 しずお
 「先生」はなんという偉大なる存在だろう。
 それは誰でも一度は思ったことがあるだろう。大きいことでも、小さいことでも、その人の知識と知恵を他の人に教えることはなんとも素晴らしいことでしょう。
 国語教師、歴史の先生。野球チームのコーチ、太鼓の先生。様々な知識を教えてくれる「先生」達。誰かに言われたのではなく、自分自身の意志でやっていること。それにひきかえ、最近の僕達は生徒は、悪口を言うわ、授業中に騒ぐわのやりたいほうだい。それは続いていいのでしょうか。先生がいなかったら、世の中はどうなっていたのだろうか。
 誰でも一度は誰かに何かを教えたことがあるだろう。自分の知っていることを他の人に伝えるのは本当に楽しいことだ。そしてその後、その成果をみることも。
 僕が今、とてもお世話になっていて、感謝をしてもしきれない、日本語教師と陸上かんとくの渡辺久洋先生。教え方がとても上手で、授業も楽しい。渡辺先生のおかげで今もこうして僕は日本語を話せている。日本人とふつうに話せる。それは今でも、未来でもとても役にたつだろう。
 その上、先生は僕に陸上という夢を持たせた。目ひょうに向かって走ることはとても楽しいことであって僕の夢である。そして体力がつく。先生はこんなに僕を成長させた。僕の人生を変えてくれた・
 こんな素晴らしいことをしてくれる先生達なのに、たまに話を聞かない僕達生徒である。君が大事な時間をついやして知識を伝えているのに、生徒が君の話をまったく聞かない。あまり気持ちのいいことではない。だから、生徒の君に、次に先生が授業をしている時には、騒いでいないで静かに授業を聞いていてくれ。君の為でもある。
 だから、先生は偉大な存在なのだ。知識を伝えてくれる人、君に夢を持たせる人、君の人生を変える人。人生の導道をしてくれる人。「先生」というしょう号の凄さ。これでその偉大さに気付いた。
 そして、僕が世話になった先生方、世話になっている先生方、授業中に何かちょっと教わってもらった友達よ、僕を成長させてくれて、僕を正しい道に導いてくれて、本当にありがとうございます。   


銀賞
     今までありがとう 
                                  岡田 えり
私が生まれた時、私達は日本に住んでいました。お母さんとお父さんは私のめんどうを見てました。でもお父さんがなくなってからすぐブラジルへもどりました。おばあちゃんとおじいちゃんが住んでいる所へ行きました。でお母さんは一人で私のめんどうを見ていました。おばあちゃんもおじいちゃんも私のめんどうを見るのが手つだってた。お母さんが仕事中の時、私はおばあちゃんの家にいました。今まで昼ご飯と夜ご飯はいつもおばあちゃんの家で食べます。お母さんもおばあちゃんの家で食べます。お母さんがご飯を作るのが上手だけど時間がないです。でもお母さんが働いてるのが私のためです。
 たくさんの親せきにもお世話になっています。だから感謝もしてます。
 今も学校の先生達にお世話になっています。たくさん勉強を教えるからです。今までしてることはせんせいたちのせいです。だからありがたいと思います。
 でもお母さんは私をまもって、私のために働いて、なんでもして、だから一番、私のめんどうをみてるのが大好きなお母さんです。


 お父さんがなくなってから、今は神様が住んでいる所にいます。あそこからお父さんはきっとわたしのめんどうも見ています。だから私は病気にならないでなにも悪い事もおこらないし、私は毎日幸せです。
 だからどうやって感謝の気持ちを見せたらいいのだろう。私には分らない。
 でも「ありがとう。」の葉話だけは感謝になりません。   


銅賞
   みずの先生ありがとう 
             田中 さなえ
 みずの先生はいつも優しいです。
 何かわからない時に、先生はとてもかんたんな説明をしてくれます。何回もおなじしつもんを聞いでも、みずの先生はかまわずに何回もこたえます。
 なんでも教えてくれたり、いっしょに遊んでくれたりもします。
 ありがとう。
 母と父の日、みずの先生はうらがえても、生きてこそのきょくをとてもていねいに教えました。みんな。いっぱいわらっていました。
 ちゃんとしてなかった人は、先生はちょっとしかられました。だけど、先生はその人のためにしかられたってことはちゃんとわかっていたと思います。
 先生がしかられる時、たまに、おこる人もいます。
 私達が作文とか、だれかに手級を書く時、みずの先生は、自分の心、大切なこと、きもちと思っていることをどうすれば紙にうつすこと、ちゃんと教えました。
 遊んでいる時にも、海日、先生新しいこと教えています。
 ときどき、くだらないことも教えています。
 みずの先生はいつも、何かをする時、自分のためだけではなて、せいと、そしてだれかのためにしています。
 みずの先生、いつもありがとう。
 ほんとうにお世話になりました。

  
              

E組 「私(僕)の失敗談」     

金賞
   人生は七転八起なんだって
             燈野 かおり
 「失敗したんだ。どうしてだよ。
それは今をおいて一年ほど前の事。去年、ピラールの太鼓部、親友太鼓は毎年行われる太鼓大会に向け、新曲を作り出し、皆で汗を流しながら練習を重ねて行きました。曲の名は「友嵐」、友情の嵐と言う意味です。「頑張れって皆へ友情の嵐を届けるんだ。」と思いながら私達は練習しました。時折、ゆみやえりと
「この曲で一位になって日本に行くんだ。皆で日本へ行くんだ。」
と目を輝かせて話し合ったりした。日本へ行けるのは全国大会で一位になったチームです。でもその前に聖南西太鼓大会があります。全国と聖南西大会は別々だけど、聖南西で一位になるのも一つの目的だった。
 そして四月の下旬、私達はソロカーバの市立劇場に着いた。目的はただ一つ「一位をつかむんだ。」私達はありったけの力で打ちましたが結果は6位。心の中で大きく膨らんでいた希望が壊されたかのように、心の恩底が痛く感じた。「いったい何が足りなかったんだろう。私はどこで失敗したんだろう。」と思いながら悔しさも涙もひっくるめて、今度は全国大会に向かって走り出すでちょっと不安だけど頑張るんだと決めた私達であった。一位は無理かもしれないけど、それでも皆は手がまめだらけになるくらい練習をしました。
 そして七月、きせつは冬、長い時間バスの中でドキドキとわくわくしながら、大会が行われるサンカエターノに着きました。大会は始まり次々と発表していくチームを見ながら私達は出番を待ちました。新拍数はだんだん高まってゆく一方です。そして舞台に一歩踏んだと思ったら、あっという間に曲を打ち、発表を終えた。一位から五位までだけのチー



ムが発表される事になっていました。しかいの人が5位のチームを発表した。ピラールじゃなかった。「もうダメだ。」と思ったら4位が親友太鼓だった。一瞬時間が止まった気がした。拍手も出来なかった。涙も出なかった。たしかに一位はつかめなかったが、それでもすごく嬉しかった。
 こうして私はこの十数年間を生きてきた。今まで何回も失敗はしました。何も後悔をしました。おいしく出来上なかったご飯や合格しなかった試験ややとわれなかた会社。人間は何回も何回も失敗を重ねていく。でも失敗をするからこそ、再び立ち上がりまた一つ大きくなるんだと私は思います。
 


銀賞
   私の大失敗
             武安 ひかり
「あっ。これは失敗したな。」
と言う時は多いでしょう。例えば、試験の質問の答えをしっていて書く時に間違えたり、友達とけんかをしたり、いらない事を言ったりする時。そしたら後悔の気持ちが残ります。
 私は最近試験で失敗するのが多いです。ブラジル学校でもぎ試験をたくさんしていて、いつも何かを間違えてしまいます。まるつけをした後はすごくくやしくなるので「次はもっと頑張ろう」と思いますがまた間違えてしまいます。だけどそんな失敗だけであればまだ大丈夫でした。
 多分私の大失敗は一回親友とけんかした時だと思います。本当のけんかにはなっていませんが私は親友と話しやめました。
 私にはすごい近い友達が特に二人いました。ですが一人は「友達なら私以外に友達はいらない」って言うふうに考えていました。それでいつも私が他の友達にはなれるようにしていました。私はまだ小さかったので気付かずに彼女にとおくなっていった。で、やっと気付いた時はもうその子と全然話していなかった。私は急に悲しくなりました。そうなっても又話しに行くのは恥ずかしかったです。
 ある日はドンと勇気が出て話しかけました。私があやまった後に彼女は、
「いいえ。君のせいじゃないってわかってるからいいよ。だけどそんな事をもう一回しないでね。」
と言ってくれました。私は「これは強い子だね」と思いながら嬉しくなりました。あの時は安心して本当の友情を感じられました。
 それからは前の雰い気にもどりもっと近くなれました。私は今、その子とあまり会えてなくても電話をかけたりメール交換をいつもしたりしています。それで嬉しい事に他の子



もかわり皆友達になっています。
 私はそのエピソードからいい事を学べました。どれだけ失敗したと思っても勇気と努力があればよく出来ます。穴から出れないと思ったら光は見えて来る。意志のある所に道はある。
 それにしょうがいをのり越える事から強くなるのは失敗しなければ無理です。人間は失敗をするにつれて大きくなります。   


銅賞
   成功への道は失敗
             木村 はじめ
 今まで僕の人生では、色んな失敗をおこしました。たとえば、おいしい食べ物なのにそれを食べなかったり、他の町の人と話すチャンスをのがしたり、選択の中で難しくない方を選んだりと、失敗してしまいます。
「あああ、何であれをしてしまったのだろう。」 と思うとその気持につながるのは失敗。それより、苦しい、悲しい気持になってしまう。そのままの気持が頭に残り傷をつける。
 僕が一番失敗したのは、今年の六月におこなわれた陸上大会です。昼からの百メートル決勝に進出しました。三位をとる可能性が高かったです。だが、準決勝の百メートルを走った後にリレーがあり、そのリレーで力を使い過ぎてしまった。そのせいで百メートル決勝で本当の限界を超える最速のスピードを出せなかった。
「負けしてしまった。大失敗だ。」と思った。
だから、時が過ぎてもきせつがかわっても失敗という傷は、頭に深く残ってしまうと思います。でも失敗は、良い点と悪い点があると思います。悪い点は、大失敗だったら長い間そのミスで苦しむことです。だからそのせいでまた新しい失敗を生みだすと思います。でも、逆に良い点は、失敗をおこす事で必ず善いものをえる事があります。大きいければ大きいほど良いものが帰ってくると思います。新しい事が覚えられる。ただ同じ失敗を二度おこす事はだめだと思います。僕も新しい事を学べました。
「やっぱり成功に至る道は失敗です。」と僕は思っています。


佳作
   人生は失敗だらけです
             角田 あきお
 僕の人生は失敗だらけです。考がえば失敗しない人はいません。それより失敗ていうのはなんですか。自分がむじゅんするぐらいふくざつな事なんでしょうね。
「失敗はせいこうのもと。」
みんなはそう言うけどぼくは失敗を何度くりかえしてもせいこうにちかずきません。
 ぼくはむかしからたっきゅうをやるのが大好きです。僕の考がえからすると、四年たっきゅうの練習をさぼるのは大失敗だと思っています。どれぐらい今よりつよくなれたものかっ思うと飽きれてしまう。たっきゅうをやめて四年間、いろんなことをけいけんしました。だがうんどうぶそくにつながり、僕はじゅうどうをやる事になりました。ぼくは一年じゅうどうをやりました。けどやめました。それも一つの失敗でした。けどそれがまた、ふしぎな事に陸上へつながるきっかけとなりました。
 なにもやっていないぼくをみんなはさそったが、僕は一年ボチボチやって、またやめました。それも大失敗でした。
 今年、またはじめようとしたが、けがのせいてやめ、やるきなくしてしまいました。
 そのやったりやめたりのくりかえしが僕の人生さいだいの失敗でした。
 こうかいしてもしかたがありませんから、それがバスケにつながった事をうれしく思い、バスケをたのしんでいます。
「失敗はせいこうのもと。」
って人間は言う。そうかもしれませんな。   


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