8月6日は広島に原子爆弾(げんしばくだん)が落とされた日。
上級生・6年生のクラスで、平和について考えました。
上の写真の建物は「原爆(げんばく)ドーム」と言い、
1945年8月6日からずっとそのままの姿で広島を見つめている建物です。

広島に原子爆弾が落とされた日時
1945年8月6日午前8時15分
長崎に原子爆弾が落とされた日時
1945年8月9日午前11時2分

授業(じゅぎょう)では、原子爆弾についての基本的な知識(ちしき)を勉強し、
広島平和記念資料館(ひろしまへいわきねんしりょうかん)からお借りした
「ヒロシマ・母たちの祈り(いのり)」というビデオを見ました。
このビデオは被爆当時(ひばくとうじ)の広島の姿(すがた)を撮影(さつえい)した記録(きろく)映画です。


授業のあとに、子どもたちに書いてもらった感想です。
子どもの素直(すなお)な心で感じた戦争(せんそう)がつづられています。

だれがせんそうをはじめたのだろう。ある人達がいつもいつもいつも、ほしいいーっって、人間をころしても、「それ」がほしい。その人の人生もしらず、どの夢があったのもかまわずそんなにもひどい事ができる人がいます。8時15分。原爆がおちた時、おおぜいの人に、それはさいごの思い出でしたと思います。あの光でいなくなった人の事を考えると心がいたみます。
 平和はいつかくるのでしょう。私はその日をねがっています。
私はひろしまにばくだんがおとしてとてもかわいそうと思いました。みんなは、ちだらけでなんにんとも人がしんでとてもひどいだった。そしていままでばくだんのせいでしんでいる人がいるってしらなかったです。
 とてもきょうみをもちました。
せんそうはとっても悪い事だと思いました。あのかわいそうな人達が何も悪い事しないであんなふうにくるしむ事がとっても大へんだと思います。母のおなかにいた子供もくるしんで。私はせんそうぜったいあいたくないです。 このビデオを見て、原子爆弾が落された広島と長崎のくるしみを少でもわかりました。とってもつらかったと思います。人々のケガを見て、痛そうにガラスは体に入っていて、三千度もしたあの日は二どもおこらない方がいと思います。だから、原爆をやめればいいと、平和な世界をねがいます。戦争の時代に生まれなくてよかったと思います。
 でも、今でも世界の色々な場所に戦争の傾向が増えています。だけどまだやめる時間だ。平和な世界を作ろう。
「人間があんなにひどい事になると知ってたら、原子爆弾なんかは作らなかった。」人間はあまりわがままだ。いつもあれほしい、これほしい。戦争もそれが理由だった。(かな?)
 人間はもうさんざん悪い事をやってきてる。でもたしかにいっちゃんひどい悪さは広島と長さきに落した原爆だ。目の前で子供が死んで行く母親の気持ちはどうだったんだろう。原爆が落とされてすべてをなくした少女はどうしたんだろう。アメリカの方も日本の方も殺し合って、それがどんなに悲しいとわからないの!?親が死んで行く子供の気持ちがわからないの!?
 この世界はまた平和に戻れるかな。でも何んだか世界への道がだんだんとおくなって行くきがする。
1945年に広島に住んでいた人達のくるしみはちょっとぐらいかんじられたと思います。そのくるしみいはすごかったからその人だけしていると思います。人達のすごいけがを見てショクになりました。人間があんなにけがしている事が初めて見ました。
 本当にもうあんあのは二どとくりかえさない事がいいです。私はばくだんでは死にたくはありません。1945年に生まれなくてよかったです。
僕はこのビデオを見てから感じた事は、あのころの生活がどのぐらいに辛かったことでした。人が苦しんでいる姿を見ると、僕もなんとなく辛いよかんをしました。こんなことを見ると、やっぱり日本は天才だと思います。あんなに苦しんでいた国が立って、頑張って、今、世界二番目の国になりこなせた。だから今の時代の人が頑張るのはとうぜんだと感じました。
 だから、もうじんせいが二度とこんな目にあわないように原爆はもうやめよう!
このげんばくのビデオを見て私はとてもかなしくなりました。だっていっぱい人がしんでそしてげんばくが終わったあと子供が1人ぼっちになったり、人がけがをしたりを見ました。もうすごくいっぱい人がしんでしまいました。いきている人達はしたでしんでた人を見ながらかぞくの人をさがしていました。そのばくはつでけがをした人達はそのあとしごとをさがしてもだれもしごとをくれませんです。 残念なことだと思いました。原ばくのせいでたくさんな人が亡くなってしまい、後になっても病気で亡くなった人がいたので、もうすぐで泣きそうだった。でも、日本ももうぶきを捨てました。僕はいいことだと思います。
 僕はその原しばくだんを広島とながさきに落としたことはとても非道なことだと思いました。