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2008年 聖南西作文コンクール

 聖南西地区の日本語学校では、古くから作文コンクールを行っております。しかし、昔と違い現在は日本語で作文を書ける生徒は少なってきています。生徒の環境により作文を書く力はさまざまであり、また学校によってもその違いは大きいと言えます。その中で昔と同じように地区で競う作文コンクールを行うのは難しく、参加生徒・学校が減少する可能性もあります。それは、『行事を通して日本語力を伸ばす』『日頃の学習成果の発表』という地区の方針に反するもので、できるだけ多くの生徒・学校に参加してほしいと思っています。そして現在のコンクールは、同日教師を入れ替えて各学校で行い、各学校で代表者(優秀者)を出しています。

 今年のテーマは3つ
  
 わたし(ぼく)のおじいちゃん(おばあちゃん)
   
百才のわたし
   
日本の食べ物
 
日本語が初歩レベルは2枚の絵から1枚の絵を選んで、その絵を見て好きなことを書きます。

  

低学年(1・2年生)の部

   日本
             安藤 ひろき
 まるの中はくるまとカメラとテレビがあります。
 しんかんせんがあります。
 土の上はかさと日があります。
 みかんがあります。
 みかんのうはとりがあります。
 ゆきのよこは男がいます。
 さかなとうしのあいだは木があります。
 さかなの上とよことしたはなみがあります。
 さかなとさかなのあいだはふねがあります。
 さかなの三にんは金色です。
 くるまはぎん色とくろです。
 あかいとりがあります。
 くるまはまどがあります。
 ちょうちょうがあります。
 木のはっぱは茶色と黄色とあかとみどりときみどりがあります。
 木の中はあかいはながあります。
 ちょうちょうはくろとあおです。
 うみがあります。
 うみは青です。 
 うみの上はなみがあります。
 みかんはオレンジとみどりです。
 ひこうきは白とあかとくろです。
 りんごはあかと茶色です。
 かおのさかなとうしはきれいです。
 日本の中はうしと木とりんごとさかなとふねとうみととりとしんかんせんがあります。


   うしおおきい
             金子 まさき
 水のうえにゆねがあります。水のうえもさかながあります。
 せいじをすぽつします。
 かさとまるがあります。
 りんごはあか色です。
 きれいなひとがあります。
 きおおきです。
 やまの中はりゅうがあります。
 さかないろんな色があります。
 水いっぱいあります。
 ひこうきおきいです。
 きょさむいです。きょはカメラかったです。
 きのうテルびかったです。おとといはくるまかったです。そしてつかうです。
 こことうきょです。


   日本は大きい
            松岡  ひろし  
 日本はイパイ家です。
 日本はふじさんに大きいです。
 日本はイパイまちです。
 日本はイパイどうぶつうしとさかなとうまとことりです。
 海はふねとさかなあります。
 ひこうきときしゃと車ははやいです。
 日本はイパイたべのもりんごといちごとやきそばとぎょざあります。
 日本の冬体みにさむい雪は人をあそぶです。
 なつ休みは海へいきます。
 日本はイパイ人があります。
 日本の人にたのしいです。
 日本はイパイ山です。
 日本はじしんがあります。
 にほんじんはいそです。
 日本のがっこうえあたらしいかんじべいきます。

  

低学年(1・2年生)の部

    百才をめざせ
            名久井そらお
 ぼくは百才になったらどこではたらくか、まだきめていません。
 日本、中国、アメリカ、どこかではたらきます。
 食べ物を作る大きなところではたらくかもしれない。
 悪いことをしてろうやにいてないているかも。
 もう地きゅうはさばくになって雨もふらないで水がなくいなってるかも。
 もうそのとき二百才までいきるくすりがあるかも。
 まだとてもむずかしい勉強をたくさんしているかも。
 とてもかっこいいところにはたらいているかも。
 ぼくはもうしんでいて空の一番たかいところで休んでいるかもしれない。

   ぼくのおじいさん
             岩井 けいじ
ぼくのおじいさんの名前は岩井やすおです。
おじいさんは大好きです。
ぼくがぜんぶしていることは、おじさんがおしえた。
四さいときと八さいまで、ぼくとおじいさんは日本語学校とブラジル学校は、車で行きました。
六さいは魚つりをおしえました。一ばんのペスケイロはやすだです。ぼくは魚つりはあまり好きでした。でも今日は大好きです。
八さいはサンタ・バルバラに行きました。
サンタ・バルバラは水をとりに行きました。
水はとってもいいです。
九さいはぼくのおじいさんはインファルテがありました。ぼくとあきらとえみは毎日ないた。おじいさんはしんでないです。一しゅかんあとではびょういんで、でました。
でもおじいさんはずっとへいわにいました。
食べるとき、へいわに食べる、あるかないてした。それでようわいになった。
十さいはぼくのおじいさんがしんでいました。ぼくはいっぱいないた。ぼくは思いました。
「こんどは何する。」
 今日はぼくは十二さいです。ぼくのおじいさんは、も二年がしんでいます。
 ぼくは毎日ほとけさんに行って、
「おはようございます、こんにちわ、こんばんわ、やすみなさい。」
 と言います。
 ぼくのおじいさんはしんでいるけど、ぼくの心にいます。

   日本の食べ物
             岩井 あきら 
 ぼくが日本の食べ物がだいすきです。
 ぼくが小さいときも日本の白ごはんだけ食べました。ぼくがいまでも日本の白ごはん食べます、ぼくがあまりブラジルのごはんあまりすきじゃないけど食べます。
 ぼくの家にはおばあちゃんがごちそうをつくります。でもぼくのおじいちゃんがなととかすしとかやきそばといろいろな食べ物つくるのできます。でもぼくがもそのいろいろなごちそうもあまり食べません。ぼくのおじいちゃもいませんのです。
 でもぼくのおばあちゃんがつくるのできます。
 ぼくが日本にいったことがありませんけどぼくのおとうさんとおかあさんがいったことがあります。
 ぼくのだいすきな日本の食べ物はやきそばです。ぼくがもちもすきです。日本語学校でりょうりがあります。りょうりに日本の食べ物がつくります。すごくおいしいです。ぼくの一番すきな食べものはやきそばだったのです。「ああおいしかった」といました。
 ぼくがまんちゃの一番すきなおちゃです。
 ぼくが小さいときもすきだったてす。
 ぼくがブラジルの食べ物もすきです。内とかまめといろいろんな食べ物。
 ブラジルサンパウルにリベルダデのところがあります。そのリベルダデに日本のまちみたいです。日本の食べものがうっています。
 ぼくが日本のおかしがだいすきです。
 ぼくのおじいさんが日本にいますそしておじいさんがいっぱいおかしをおくれます。
 ぼくがこのいっぱいなおかしをみて「ああぼくぜんぼ食べます」といいます。
 ブラジルのおかしがあまりあまくない。日本のおかしがすごくあまいそれのおいしいです。
 日木ののみものもおいしです。いろいろなのみものあります。
 ピラルにはぼくのおじいさんがレストランがあります。ぼくがいってやきそばとぎょうざ食べます。
 ぼくのいとこは白ごはんだけだけ食べます。ずごくおもしろいです。
 日本の食べ物はなかたらも食べるのいみがありません。


低学年(1・2年生)の部


   おばあちゃん元気ですか
             鐙野 かおり
 「ばあちゃん、こんにちわー。」
こうして私はいつも祖母に会う時にあいさつします。父方の私の祖母は田舎で一人で住んでますので毎日は会えないです。
 私の祖父は父がまだ大学生だった頃に亡くなりました。だから私は顔さえ見た事ないです。でも一番悲しいのは私ではなく祖母だと思います。だから週末にはなるべく田舎に行くようにしてます。祖母の嬉しい顔を見ると私はなぜかホッとします。
 いつも冬休みの旅行は一緒に行ったり、運動会も見に行ってた祖母はだんだん来なくなっていくので私は運動会の作文集や学校の日記などを田舎に持って行き、祖母は全部全部読んで、いい点と悪い点を私に教えます。
 最近祖母はよくサンパウロへ行っておばさんの家に泊ったりします。祖母はサンパウロに行くのが好きで、一度お正月に
「今年の目的はサンパウロに住む事。」
と言いながらかんぱいをした。
 祖母は自分の畑を持ち、色んな物を植えてます。かきやこんにゃく、ねこやなぎも植え、草取りやしゅうかくまで全部一人で一生懸命やります。その他、祖母はまだぬい物や料理も上手です。そして私と兄弟二人、田舎へ行くといつも夕方の4時に祖母が
「今日は皆手伝ったからおやつあるよー。」
と言いながらドラ焼きをくれます。祖母のドラ焼きは甘みはひかえめでとてもおいしいです。こうしていつも優しくしてくれる祖母は昔は苦労しました。祖父は亡くなり祖母は倍に働いて私の父とおばさんを育てました。だから今は祖母が辛い思いをしないように私がそばにいてあげたいです。いつもは無理ですけど。でも祖母は「ポテチ」と名付けた犬を飼ってます。祖母が行く所はポテチがテクテクと一緒に行くので祖母はさびしくないと思います。
 今でも祖母はすごく元気そうです。これからも私はだんだん祖母には会えなくなるけど誰よりも元気でいて欲しいです。
 昔はすごく苦労した祖母はその分私が幸せにしてあげたいです。この作文は祖母の為に書きます。そして一つ伝えたいです。
「おばあちゃんいつもドラ焼き作ってくれてありがとーう。」
   百才の私だと 
             川畑 よしこ
 こんな事はもう何回も考えた事がある。生きているか、死んでいるか。元気なのか。私は本当はずっと生き続けたかった。ずっと元気で世界、私の家族がどうなるかを見たかった。私は生きている。だからこそ頑強り続ける。うしろを見ると、いろんな事を思い出す。でも前を見ると、私は何を見るんだろう。
 私は大きい家族がほしい。幸わせで、元気で、いつもにぎやかな家族がほしい。私のまご、ひまごが日本語が話せたらいいなぁ、と思っています。そしたら、いろんな話しをして、子供のころの話もしながら父から聞いた話もしたいです。そう想するだけでワクワクします。まごはちゃんと聞いてくれるのかな。てれくさくて聞かないのかな。そんなまごもたくさん見たので、ちょっと下安です。
 と、こんな事を考えるといろんな事を考えてしまいます。私ってどんなばあちゃんになるんだろう。きびしいばば。やさしいおばあちゃん。すごくて、やさしくて、おもしろいばあちゃんていいね。そんなばあちゃんになりたい。
 あと八十五年間すぎたら、世界はつぶれている。もう何もない。水がなくなっている。そういう考え方もしました。けれど、やっぱりそうにはいけません。そうなったら、これから生れる子供はどうなるの。だから、もっともっといい世界になれるように皆で頑強らなくちゃ。
 お父さんとお母さんは私と私の二人の姉と一人兄に、いい生活を生きていくように頑強っています。同じように、おじいちゃんとおばあちゃんもお父さんとお母さんを見守った。だから私も同じ事をする。人間は次に生まれて来る人の事を考える物だ。
 けいろう会で子供達の発長も見たい。私達が今している同じように、楽しんている子供達を見たい。こう考えると、私はもうてっきりおばあちゃんの気分になっています。
 僕らは皆、生きている。生きているから頑強るんだ。時間がだんだんすぎていて、年もだんだんすきていく。百才の私はどんな人だろう。元気で、おもしろくて、まご達とは中
がよくて、すごいばあちゃんになりたいです。せいせいどうどう生きていこう。
 
   この百年は誰の為に
             鐙野 しずお
 もしも僕が百歳になれば、何をしよう。
 もしも僕が頑張って百年もいきれればの話だけど。八十歳になって、もう十分だという人もいますが、それではまだ足りない、もっと生きたい、という人もいます。
 ほとんどの人は百歳になりたい、というのぞみがあるけど、本当にそれが心の奥にある気持ちなのでしょうか。はたして、それまではもう生活に飽きていないでしょうか。
 前は、僕は八十歳まで生きればじゅうぶんだと思っていました。子供を育てて、息子が大人になったら僕は自分の為に働き、六十歳になって世界中を旅行するつもりでした。でも、その後はどうしていただろう。もうやることがない、もはやその元気もない。
「これでもういいや。」
ってかんじで、死ねばそれでいい、死ななかったら、死ぬまでまとう、と考えていました。
 だが、最近のこと、本当のことに気付きました。人はなぜ百歳まで生きようとする理由を。
 本来、人間は七十歳になって、生きることをやめます。なら何故それをわざわざ薬を飲んでまで百歳まで生きようとするんだろう。
 それは、その人にとって、大切な人ができたからです。それが僕の考えです。
「人間は一人で生きていけない。そばにいる人達にささえられ、共にたすけ合い、生きてゆくべきです。互いにたすけ合う事によって、その人は深い感情をうみ出し、強い友達のきずなにしばられる。」
だから、人間はその大切な人の為に百歳まで生きようとする。その人の為に生きて、役に立ちたいという気持ちがある。そして、生活に飽きない。その上、友達の力がわいてくる。そしてその人の為に死ねば、それ以上幸せなことはないだろう。
 だから、百歳まで生きて、役に立てることがあれば、なんでもする。それが僕ののぞみです。
 僕も大切な人ができました。学校や家ぞく、先生と友達、皆と共にささえられ、共にたすけあうことでもっと深い友達がうまれました。だから、僕も百歳まで生きたい。役に立ちたい。それで、頑張って、百年でも百二十年でも生きて、たとえもう力がなくても、誰かの為に死にたいです。
 これは自分の為ではなく、別の人の為で、深い友達によってうまれたきずなだから、百年、二百年たっても、決して立ちきれないだろう。